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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)1601号 判決 1968年7月19日

主文

被告は原告に対し、別紙目録記載の建物部分を明渡し、昭和二九年二月四日以降右明渡済に至るまで一カ月金一万円の割合による金員を支払い、かつ金二四〇万円及びこれに対する昭和二九年三月六日以降その完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は原告において金二〇〇万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、主文第一、二項と同旨の判決及び仮執行の宣言を求め、その請求の原因として

「(一) 別紙目録記載の建物は原告の所有であるところ、原告はそのうち同目録記載の建物部分(以下本件建物という。)を、昭和二七年一二月一六日、被告に対し、期限の定めなく、賃料一カ月金二五、〇〇〇円、毎月末日支払の約定で賃貸した。

(二) ところが、本件建物は昭和二九年一月二二日午前一時頃火を発し、二階の一部を残して殆んど焼燬した。その焼燬の程度は、一階の天井が焼け落ち、周壁に数カ所焼け抜けの穴を生じたのをはじめ、柱、梁、板壁その他室内部分は殆んど炭化或いは燻焼し、外廓は、外壁に数カ所焼け抜けの穴を生じたほか一部燻焼したままで残存するも、到底使用に堪えず社会経済的観点からすれば、まさに滅失と同様の状況にあるものである。

(三) 以上の次第で、前記賃貸借は目的物の滅失により終了したにかかわらず、被告はなお右残存物件の使用占有を続けているから、原告は被告に対し賃貸借の終了を原因として、右残存物件たる本件建物の明渡を求める。

(四) 仮りに本件建物が滅失したものと認められないとすれば原告は次のとおりに主張する。

(1)  前記火災は被告の従業員の過失によつて発生したものである。すなわち、被告は当時本件建物の二階に事務室を設け、同所で事務を執つていたものであるが、被告の従業員が右事務室のストーブの残灰を処理するにあたり、不注意にも漫然とこれを隣室(大部屋)にあつた木箱に入れたまま放置したため、残灰の余熱によつて木箱の一部を焼き、やがて木箱の据えてあつた床板を焼き抜いて、そこから火が階下に落下し、階下にあつた引火物に燃え移り、遂に本件建物を焼燬するに至つたものである。右は明らかに被告の従業員の過失であり、従業員の過失は即使用者たる被告の過失というべきであるから、被告は賃借人としての善良なる管理者の注意義務を怠り、よつて本件建物を焼燬せしめるに至つたものといわなければならない。

(2)  仮りに本件火災の出火点が二階にあると認められないとすれば、火は階下から発生したものと解するのほかないが、当時階下は、後記のとおり、被告が原告に無断で、訴外日本浮出印刷株式会社(以下日本浮出という。)に転貸していたものであり、賃借人(転貸人)は無断転借人の行為につき当然賃貸人に対して責任を負うべきものであるから、本件火災がたとい日本浮出の過失によつて発生したものとしても、被告は原告に対し、なお善良なる管理者の注意義務違反の責任を免がれることはできない。

(3)  しかして、本件火災の如きは、まさに賃貸借における信頼関係を著るしく破壊するものというべきであるから、原告は被告に対し、原状回復の催告をなす要なきものとして、昭和二九年二月二日到達の内容証明郵便による書面をもつて、右管理義務違反を理由に賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなした。

(五) 仮りに右管理義務違反による契約解除が認められないとすれば、原告は被告の無断転貸を理由としてさらに契約解除を主張する。すなわち、被告は、昭和二八年五月頃原告に無断で、本件建物の階下三四坪の部分を日本浮出に転貸し、同所に印刷機械、電動設備等を設置せしめて作業場として使用させていたものであるから、原告は被告に対し、前記管理義務違反の理由に併せて右無断転貸を理由として、前記内容証明郵便による書面をもつて、賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなした。

(六) よつて、原告は被告に対し、右契約解除による賃貸借の終了を原因として本件建物の明渡を求める。

(七) なお、被告は、火災後も本件建物のうち焼け残つた二階の事務室と応接室の部分を従来どおり使用するほか二階のその他の部分も不十分ながら使用しているものであり(階下は使用不能)、被告の右使用部分に対する相当賃料額は、使用面積、使用状況等を勘案して本件建物の約定賃料額一カ月金二五、〇〇〇円から比例算出すれば一カ月金一万円と認めるのを相当とするから、原告は被告に対し建物返還義務の不履行による損害賠償として、賃貸借終了後である昭和二九年二月四日以降明渡済まで一カ月金一万円の割合による損害金の支払を求める。

(八) さらに、本件建物は前記のとおり焼燬し、これを原状に復するためには、材木費、建具費、水道、電気工事費、左管工事費、大工手間、ブリキ工事費、屋根瓦工事費、塗装費等合計金二四〇万円の費用を要する。しかして右は被告の責に帰すべき事由による火災によつて原告の蒙つた損害であるから、原告は被告に対し、債務不履行に基く損害賠償として右金二四〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和二九年三月六日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

と陳述し、

被告の抗弁に対し

「(一) 原告は被告との間で、本件建物の夜間管理の責任は原告が負う旨の約定をしたことはない。なるほど、原告は、本件建物の中庭に建築した原告の社宅に訴外小平大吉一家を居住させていたが、小平大吉には別紙目録記載の建物の階下一隅一四坪の部分に存する原告の姉妹会社訴外東北砂鉄鉱業株式会社の管理を委託していただけであつて、被告に賃貸中の本件建物全体の管理は夜間といえどもこれを委託したことはない。仮りに夜間管理の責任を原告が負う旨の約定があつたとしても、本件火災が被告の従業員の失火によるものと認められる以上、被告がその一半の責任を免れ得ないことはいうまでもない。

(二) 次に原告は、いかなる意味においても被告の日本浮出に対する本件建物の階下三四坪の部分の転貸につき承諾を与えたことはない。すなわち、本件賃貸借契約が昭和二七年一二月一六日原被告間に締結されるまでの間に、被告主張のような経緯のあつたことは認めるが、旧来の独立化成と近藤某との間の賃貸借に賃借権の譲渡、転貸自由の特約があつたことは否認するところであり、仮りにかかる特約があつたとしても、原被告間の本件賃貸借契約は従前の関係を止揚して、新規に締結された契約であるから、従前の契約に附帯する特約が当然に承継されるいわれはない。また小平大吉は前記のとおり、原告より本件建物の管理権を付与されていたものではないから、黙示的にも転貸の承諾を与える資格なく、原告の社員三宮慶雄においてももとより右転貸を黙認していたような事実はない。

(三) 転借人日本浮出が昭和二九年一月二八日印刷機械等を搬出して本件建物から退去したことは認めるが、右は火災のため建物の使用が不能となつた結果であり、また右転貸借の期間が契約面上短期に定められていたとしても、それはあくまでも一片の形式にとどまり、当事者間においては更新が自由であるから、外形のみから一時的なものとして背信性なしと断ずることはできない。」

と述べた。

立証(省略)

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁並びに抗弁として

「(一) 請求原因(一)記載の事実は認める。但し別紙目録記載の建物はもと訴外独立化成株式会社(以下独立化成という。)の所有であり、独立化成はこれを訴外近藤某に賃貸中、昭和二四年一月頃被告において適法に近藤より右賃借権を取得したものであるが、昭和二六年二月原告が競落により右建物の所有権を取得するとともに、原告は右賃貸借における賃貸人としての地位を当然承継するに至つたところ、その後原告の申出により、被告は右建物のうち階下一四坪の部分を原告に返還し、従前の賃料額を改訂するなどして、昭和二七年一二月一六日原告との間で、本件建物につき原告主張のとおりの約定の賃貸借契約証書を作成したが、右契約証書の作成はただ契約条項の変更を明確ならしめたにとどまり、決して従前の契約関係を止揚して、新規契約を締結したものではない。すなわち原告主張の賃貸借は従前の契約関係の継続的性格を有するものとしてこれを認めるものである。

(二) 請求原因(二)記載の事実は、本件建物が滅失したとの点を除きこれを認める。本件建物は火災により焼燬したとはいえ、依然建物としての外形を維持しているのみならず、現に被告において使用を継続しているものであるから、物理的にも、社会効用上からも、決して、滅失したとはいえない。

(三) 請求原因(三)記載の事実は、被告が本件建物の使用占有を続けていることを認め、その余を否認する。

(四) 請求原因(四)記載の事実については

(1)  同(1)の事実は否認する。被告の従業員は原告主張の木箱にストーブの残灰を投入したことは絶対にない。右木箱は、たきつけ用木屑や大工道具、釘などを入れるためのものであつて、ストーブの残灰の取り入れ用のものではない。なおストーブの残灰は、火災の前日(昭和二九年一月二一日)の午前一〇時頃、被告の従業員がストーブをたきつけた際、ブリキの塵取りに取つて、屋外の中庭に棄てにいつており、被告代表者南郷茂宏は、同日午後三時頃、ストーブに何ら異常なく、右木箱に残灰等が入つていなかつたことを確認しており、また被告の従業員らも同日夕刻退社時にストーブには異常なく、右木箱にも残灰は入つていなかつたことを確認している次第であるから、本件火災が右木箱からの出火だとする原告の主張は失当である。要するに本件火災は被告の従業員の過失によるものではなく、考えられる出火原因は、当時本件建物は雨漏りがひどかつたから、漏電によるものと臆測するほかはない。

(2)  同(2)の事実も否認する。もつとも本件火災当時日本浮出が本件建物の階下部分を使用していたことは認めるが、右は後記のとおり、原告の主張するような無断転貸借によるものではない。

(3)  同(3)の事実は、原告より被告に対し、原告主張の内容証明郵便による書面をもつて賃貸借契約解除の通告のあつたことは認めるが、その余は否認する。

(4)  ところで、本件賃貸借にあつては、前記昭和二七年一二月一六日の契約改訂の際、原被告間において、本件建物の夜間の管理責任は原告が負う旨を約定したものであるところ、本件火災はまさに夜間に発生したものであるから、いずれにしても被告は管理義務違反の責を負うべき筋合いにない。さらに詳言すれば、右夜間管理に関する特約のため、被告は、自ら宿直室を設け、夜間管理人を置くことを許されず、本件建物の使用は昼間だけに限定されており、一方原告は、本件建物の夜間管理のため、本件建物の中庭に原告の社宅を建築し、これに原告代表者佐々川清の姻戚と称する訴外小平大吉一家を居住させ、右小平大吉を管理人に選任して本件建物の夜間管理にあたらせていたものであるから、被告の賃借人としての建物保管責任は昼間に限定せられ、夜間に発生した事故には及ばないのである。

(五) 請求原因(五)記載の事実は、被告が日本浮出に本件建物の階下三四坪の部分を使用させたことが無断転貸に該当するとの点を除き、その余を認める。被告は昭和二八年五月九日日本浮出との間に共同事業契約を締結し、同契約に基いて右階下三四坪の部分の使用を日本浮出に許したものではあるが、その作業場の設備のうち電動設備は被告の所有であり、しかも業務は被告と日本浮出との共同管理のもとになされていたのであつて、いかなる意味においても被告は、日本浮出に独立の占有を与えたものではないから、右は民法六一二条にいわゆる転貸の概念に該当しない。

仮りに転貸に該当するとしても、賃貸人たる原告の承諾がある。すなわち

(1)  本件賃貸借はさきに(一)において述べたとおり、賃貸人独立化成と賃借人近藤某との間に存した賃貸借を、原、被告においてそれぞれ承継したものであるところ、独立化成と近藤某との間の賃貸借には賃借権の譲渡、転貸自由の特約が存し、右特約は賃貸借の承継に伴い、当然承継されるものと解せられるから、被告の日本浮出に対する本件転貸については、原告の包括的承諾があつたものといえる。

(2)  仮りにそうでないとしても、原告側の本件建物の管理人小平大吉は、本件建物の中庭にある原告の社宅に住み、本件建物の内部の様子を知悉し、階下三四坪の部分を日本浮出が使用していることを知りながら何らの異議を述べず、また原告の総務経理担当社員三宮慶雄も日本浮出の存在を知りながら、敢えて黙認状態のままこれを放置していたのであるから、原告は黙示的に被告の日本浮出への転貸を承諾していたものというべきである。

仮りに右承諾の事実が認められないとしても、日本浮出は昭和二九年一月二八日印刷機械等を搬出して本件建物より退去し、転貸借関係は絶止しているから、もはや無断転貸を理由に賃貸借契約を解除することは許されない。

仮りにそうでないとしても、右転貸借は昭和二八年五月九日から昭和二九年二月末日までの極めて短期間の一時的約定のものであつて、賃貸借の信頼関係を破壊する性質のものとは考えられないから、これをとらえて賃貸借契約解除の原因とすることは権利の濫用である。

(六) 請求原因(七)記載の事実は、被告が火災後本件建物のうち原告主張の部分を引き続き使用していることは認めるが、その余の点は争う。本件賃貸借は如上被告の記述したとおりの次第で、未だ終了していないのであるから、被告において賃料に代る使用損害金を支払うべき理由はない。

(七) 請求原因(八)記載の事実は否認する。」

と述べた。

立証(省略)

理由

(一)、本件建物が原告の所有であること、本件建物が昭和二九年一月二二日午前一時頃出火して焼燬したこと、その焼燬の部位、程度が原告主張のとおりであること及び右火災当時本件建物は、被告において、原告より、賃料一カ月金二五、〇〇〇円、毎月末日支払の約定で、期限の定めなく、賃借中であつたことはいずれも当事者間に争いがない。

(二)、そこで、まず、原告の建物滅失の主張について按ずるに、本件火災による本件建物の焼燬の部位、程度が右に述べたとおりであるとすれば、その損傷被害は相当甚大なものありと認めざるを得ないが、火災後も本件建物はなお建物としての外形を維持しており、しかも被告においてその二階部分を引き続き会社業務のために使用していることは当事者間に争いのないところであつて、本件建物が右のような使用に堪える以上、これを滅失したものと観念することはできないから、原告の該主張は失当として採用し得ない。

(三)、次に管理義務違反に関する原告の主張について判断する。

(イ)、まず本件火災の出火原因をたずねるに、本件火災は、後記認定の諸事実に照らせば、被告の従業員が二階事務室のストーブの残灰を処理するにあたり、漫然とこれを隣室(大部屋)にあつた木箱に投入したまま放置したため、残灰の余熱によつて徐々に木箱の底板等を焼き、やがて木箱の据えてあつた床板を焼き抜いて、そこから火が階下に落下し、階下にあつた可燃物に燃え移り、遂に本件建物を焼燬するに至つたものと想定される。その理由を説明すれば次のとおりである。すなわち

(1)、各成立に争いのない甲第八号証及び乙第二号証の添付写真並びに検証の結果を綜合すれば、本件建物の二階被告事務室の隣室(大部屋)の西側寄りの床板に直径二尺余りの不整形の焼け抜け穴が存し、その周囲の床板及び根太は右穴の周辺に添つて高度に焼損していること、床面の焼損欠落部分が右焼け抜け穴の大きさと合致する木箱が残存していること、本件建物の階下部分は殆んど完全に近く火焔の影響を受け、燃焼または燻焼して著るしく炭化、焼失しているのに反し、二階は、事務室には異状なく、大部屋の部分も、床板に右焼け抜け穴が存するほかは、大して火焔の影響を受けておらず、ただ階下東、西の窓及び出入口から外壁を伝つて噴き上げたと思料される火焔によつて階上東、西の窓、天井及び屋根裏の部分において燃焼または燻焼して炭化しているに過ぎないことを認めることができる。

ところで右二階床板の焼け抜け穴が階下からの火焔によつて生じたとするには、階下からの火が上方に向つて一点に噴出したと考えるよりほかないが、階下にそのようなノズル状の火焔を生ぜしむべき物体が存在したとは証拠上認められず、仮りに存在したとしても、そのような火焔は二階の床板を突き抜けた以上、非常な火勢をもつて二階内部に噴出すべきものであるから、二階内部の焼燬程度はさらに甚だしいものであるにかかわらず、本件の場合二階の焼燬は右認定の程度にとどまつている。

そうとすれば、本件火災は、右木箱の内部から発火し、徐々にその底板等を焼き、やがてその下の床板を焼き抜いて火が階下に落下し、階下の可燃物に燃え移つて遂に本件建物を焼燬するに至つたものと推定するのが妥当である。右の推定は、本件火災の目撃証人たる小西保明、同小平大吉(第一、二回)らが「はじめて火を発見したときは、階下天井西側寄りの辺が円く明るくなつており、そこから周辺に向つて上から下に火の粉が落下していた。」

旨供述していることによつても裏付けられる。

(2)  被告は本件火災は漏電による旨主張するが、各成立に争いのない甲第六号証の一、二及び同第七号証によれば、本件火災につき、鑑定人藤田金一郎は「漏電か否かは鑑定できない。」旨、また鑑定人崎川範行は「結論として漏電の有無の判定は不可能である。」旨陳述していることが認められ、専門家たる右各鑑定人の言にして、しかる以上、被告提出援用の他の証拠の程度をもつては、到底漏電説を肯定するに足りない。

(3)、次に前記甲第六号証の一、二によれば左のとおりの事実を認めることができるすなわち、鑑定人藤田金一郎は、本件火災の現場を模し、前記木箱に模して作つた木箱に、ストーブの消火後五時間ないし九時間を経過した残灰を投入放置して実験した結果、本件火災現場の焼け抜け穴とほぼ同様の焼損状態を再現し得たこと及びストーブのロストル下の残灰の温度は、堆積状態においては容易に低下せず、一八〇度以上の温度を保持し、二〇時間経過後もなお一五〇度の温度を維持し、従つて長時間にわたつて木材が加熱された場合には木材の状態によつては十分発火の可能性があることが認められる。

(4)、なお証人神崎恒雄(第一、二回)、同雨宮八重子の各証言によれば、被告の従業員神崎恒雄は本件火災の前日たる昭和二九年一月二一日午前一〇時頃二階事務室のストーブから、ブリキの塵取りに一杯残灰を取り出したことを認めることができる。もつとも同人らは、右残灰は屋外の中庭に棄てた旨供述しているが、該供述部分はたやすく措信し難く、また被告代表者南郷茂宏本人(第一ないし第三回)も同日中前記木箱にストーブの残灰は見なかつた旨供述しているが、これまたにわかに措信し得ない。

(5)、以上の諸事実を綜合考察すれば、本件火災の出火原因を冒頭認定のとおりに想定することには無理はないというべきである。もつとも証人神崎恒雄(第二回)の証言によれば、同証人は本件失火事件の被疑者として警察並びに検察庁の取調を受けたが、結局嫌疑なしとして不起訴処分を受けたことを認めることができるが、刑事責任と民事責任とは別個の観点から考うべきものであつて、従業員の刑事責任が証拠不十分の故をもつて免責されたとしても、それが直ちに使用者の民事責任を左右するものではない。すなわち、本件の場合、火災は前記木箱からの出火によるものと認めるのを相当とするところ、仮りに右が被告の従業員の行為によるものとは認め難いとしても、少くとも前記木箱は被告の占有支配内にあつたものであり、自己の支配内より生じた火災については不可抗力等の反証なき限り、建物賃借人は保管義務違反の責任を免れ得ないから、結局被告も本件火災につき失火の責任を免れることはできない。

(ロ)、被告は、本件賃貸借にあつては、原、被告間に本件建物の夜間の管理責任は原告が負う旨の特約が存在する旨主張し、被告代表者南郷茂宏本人(第一ないし第三回)は被告の右主張に副うような供述をしているが、該供述は、成立に争いのない甲第一号証の賃貸借契約証書に何らかかる特約条項の記載のないこと及び証人三宮慶雄、同山田勝太郎、同小平大吉(第一、二回)らの各証言に照らしてにわかに措信し難く、却つて右各証人らの証言によれば、さような特約は原、被告間に存しなかつたことを認めることができる。しかも仮りにかような特約が原、被告間に存在したとしても、本件火災の出火原因が被告側にあると認められる限り、右は被告の責任を全面的に阻却する事由とはならない。

(四)、以上認定のとおりとすれば、被告は賃借人として、本件火災につき、保管義務違反の責任を免れ得ないものというべきところ、右義務違反の態様はまさに賃貸借における信頼関係を著るしく破壊するものというべきであるから、これを理由に賃貸借契約を解除するには原状回復の催告をなすことを要しない。しからば、原告が被告に対し、昭和二九年二月二日到達の内容証明郵便による書面をもつて、被告の右保管義務違反を理由に本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなしたことが当事者に争いない以上、本件賃貸借は昭和二九年二月二日限り終了するに至つたものといわなければならない。よつて原告の被告に対する賃貸借の終了を原因とする本件建物の明渡請求は爾余の争点につき判断するまでもなく既にこの点において理由ありとしてこれを認容する。

(五)、次に原告の被告に対する、本件建物の返還義務の不履行による損害賠償請求については、被告が火災後も本件建物のうち焼け残つた二階の事務室と応持室の部分を従来どおり使用するほか、二階のその他の部分も不十分ながら使用している(階下は使用不能)ことは当事者間に争いなく、被告の右使用部分に対する相当賃料額は、使用面積、使用状況等を勘案して本件建物の前記約定賃料額一カ月金二五、〇〇〇円から比例算出すれば一カ月金一万円と認めるのを相当とするから、原告が被告に対し賃貸借終了後である昭和二九年二月四日以降本件建物明渡済まで一カ月金一万円の割合による損害金の支払を求める請求も正当として認容すべきである。

(六)、さらに証人三橋正夫の証言及び同証言によつて各成立の認められる甲第三号証の一ないし九によれば、本件建物の本件火災による損傷を原状に復するためには、材木費、建具費、水道、電気工事費、左官工事費、大工手間、ブリキ工事費、屋根瓦工事費、塗装費等合計金二、四〇〇、六六〇円相当の費用を要することが認められ、右は被告の責に帰すべき事由による火災によつて原告の蒙つた損害ということができるから、原告が被告に対し損害賠償として右のうち金二四〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和二九年三月六日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める請求も理由ありとして認容すべきである。もつとも、成立に争いのない乙第三号証及び被告代表者南郷茂宏本人(第一ないし第三回)の供述によれば、原被告間の本件建物に関する仮処分事件(東京地方裁判所昭和二九年(ヨ)第六九五号)につき昭和三〇年一〇月一二日当事者間に和解が成立し、右和解に基き、被告は応急修理として合計金一六八、〇〇〇円相当の工事費を投入して本件建物に、補修工事を施したことを認めることができるが、右和解は紛争解決までの間の暫定措置として、主として被告の使用の便宣のためを慮つてなされたものと認められるから、被告の右工事費の投入は、原告の損害賠償額の算定についてはこれを斟酌すべきでない。

(七)、如上説示の次第で原告の本訴請求はすべて認容すべきである。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

別紙

物件目録

東京都中央区越前堀二丁目一番地所在

一、木造スレート葺二階建事務所  一棟

建坪 四八坪

二階 四八坪

のうち

階下の三四坪(東北砂鉄鉱業株式会社の占有部分一四坪を除いた部分)

二階 四八坪

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